痛みに名前を付けるということ
私の母は、身体表現性障害という病気です。
検査では何も異常が見当たらないのにも関わらず、胃や歯に激しい痛みが一日中起こり、日常生活に影響を及ぼします。
日によっては、ごくまれに痛みが引いたり、やわらいだりする日があり、周りからは、あまり重症には思われません。
しかし、本人にとってはいつ痛みが来るのかわからず、痛み始めたらいつ治まるのかもわからない日々が続きます。
そんな母もこの病気と付き合ってもうすぐ1年になります。
発症当初はみるみる体重が落ち、食欲もなくなり、生きる気力もなくなったようでした。
娘としてそばにいて何もしてあげられない無力感がとてもつらかった。
そして、自分の結婚もあり、離れて生活することになり、より母のことが気がかりでした。
今は、毎日のラインや頻繁に通話をするなどして母が病気に負けてしまわないように、痛みを紛らわせるために、自分の身に起こるあらゆることを話しています。
母は、優しく聞いてくれて、私をいい娘だと褒めて通話中は幸せそうにしてくれます。
コロナもあって、気軽に会いに行くこともできないというのもあって、母の病気もなかなかいい方向にいかないのかもしれません。
身体表現性障害は、心理的な要因も関係していると聞きます。
この1年で私の結婚や、兄の結婚はおそらく母にとって大きな精神的負担だったのかもしれません。
コロナという世の中も母を精神的に苦しめる要因であると考えています。
母は、毎日ラインで胃の痛み度合いを教えてくれます。
私の提案で胃の痛みは「いもちゃん」、歯の痛みは「はもちゃん」と名前を付けました
こうすることで、今まで憎かった痛みがすこし愛らしく見えていきます。
母のラインは「いもちゃん今日はおとなしい」、「いもちゃん今日は暴れてるの」
といったような感じです。
今まで受け入れられなかった痛みを、こうやって名前で呼ぶことで、少し自分の一部として受け入れて、付き合っていくことが出来ているのだろうかと思いました。
一見ふざけているようですが、これがかなり効果があったように思えます。
1年かけてやっと病気を受け入れることが出来た。
ここからはどうすればよいのでしょうか?
母は、どうなるのでしょう
痛いまま生涯を終えるのでしょうか?
ある日突然ピタッと痛みと無縁の生活に戻れたら
どれだけいいか
毎日睡眠薬と向精神薬を飲む生活からいつ抜け出せるのでしょうか
母を幸せにしてあげたい
いもちゃん、はもちゃん、お願いだから母を解放してあげてください